diary

140字越えのつぶやき

わたしはあい○ょんになれないし、あ○みょんもわたしになれない

あいみょんの曲が結構好きなので、有名どころは何曲か聴いている。

(固定の歌手の曲を聴いたり誰かのファンになったりはしないのであまり深くは知らない)

自らギターを弾いて、自分の作った詩を自分の作ったメロディにのせて叫ぶ(歌う)。

 

うらやましい。

 

 

わたしには作曲の才能もアイデアも何も思い浮かばないし、自分の思いのたけをうまく言葉にすることもろくにできない。楽器だってまともに弾けない。

芸術の才がないので自分の感情を表に出す、アウトプットする術がない。

今も昔も、この鬱屈した気持ちを思いのままに表現することができない。

せいぜい気分転換して気を紛らわして、他者のアウトプットに想いを摺り寄せてなんとなく発散した気になるだけだ。

 

あいみょんはいいなぁ。

 

わたしに芸術の才があればそういった言葉にしたり言葉にならない気持ちを音楽や画とか文章とか作品で表現できるのに。

あいみょんみたいになれたら曲や詩にのせて思いのたけをぶつけることができるのに。

あいみょんはすごいなぁ。

 

でもあいみょんは今や売れっ子だ。生きてる世界も見えてるものもきっと違う。

今のあいみょんが内なる想いを吐き出しても、それはアーティストとして有名人として見えてる生きてる世界の中で作られたものであって、実際に「あいみょんいいよね~」と言って歌詞に共感してる人たちの、一般人の平凡な世界で見えてる世界とは違う世界でしかもう音楽を作れないはず。だからすごい。

生きてる世界が違うのに、その違う世界の人が自分のことのように共感するような音楽を作るのだから。

あいみょんに限った話じゃないんだけど)

人が共感するものを生み出す人はすごいけど、それはあくまで似て非なるものに過ぎなくて、わたしが抱える鬱屈した感情はわたしにしかわからなくて、わたしだけのものなんだ、

 

だからわたしはあいみょんになれないけど、あいみょんだってわたしになることができない、

なんてことを思った。

だからこれからも、自分の感情を大事にしようって改めて思った。

 

 

こんなことを書きながら、そういえばあいみょんの「双葉」という曲はリアルな若者たちから声をきいて曲を書き下ろしたみたいなニュースを見たなと思い出す。

あいみょんはわたしが思ったようなことはもうとっくにわかっていて、だからこういうことをしたりするのだな、やっぱすげえなと妙に腑に落ちた。

 

 

 

とか言ったけどそこまで鬱屈して追い詰められてるわけでもないです